皆さま、こんにちは! matutikaです。
前回は、左手中指末節部欠損後、義指を作ってピアノを弾けるようになった、という記事をまとめさせていただきました。
さて、今回は前回の記事で掲載を除外させていただいた、怪我の経緯とその後について書いていこうと思います。
「どうしてミンチになったの?」の項目です。
除外した大きな理由としては、義指を作ろうと思って記事をみてくださった方の、トラウマや辛い記憶を誘発してしまうのは避けたかったからです。
非常に生々しい描写が多いので、くれぐれも閲覧は自己責任でお願いいたします。
事故の経緯
ざっくり話せば、当時お勤めしていた飲食店でミートチョッパー(お肉をミンチにする機械)に巻き込まれてミンチになりました。
通常肉を押し出す際は写真にもあるような押し棒を使うので、ミンチになることはまずありません。
その日の私は、早く仕込みを終わらせなければ…!とかなり焦っていました。
お肉の端材をひき肉にする作業中、大きな肉の塊がミートチョッパーに詰まって押し出せなくなり…
スイッチをオフにせずに指を入れて肉の塊を引き抜こうとしました。
自業自得です。
あとは皆さんご存知の通り、機械が私の指をゴリゴリッと飲み込み、見事にミンチになりました。
ミートチョッパーを使ったことがある方は分かるかもしれませんが、あれ結構詰まりますよね。
肉を入れるスペースはかなり狭いのですが、人より小さな私の指は普通に入ってしまったのです。
(その後会社は私の事故を受けて、指が絶対入らない一回り小さな機械を導入したらしいです。)
リアルな話、人間の指って簡単にミンチになるんだな~なんて事故当初は妙に冷静だったような気もします。
脳みそが現状に追いついていかない感じです。
周りの人たちの方があたふたしてました。
頭が真っ白になると、痛覚もどっかにいってしまうのか、痛みはほぼ覚えていません。
ただ、引き抜いた時の指の先から、真っ赤な肉片と、削られて尖った骨が見えていたのは今でも脳裏に焼きついています。
とりあえずなくなった指を右手でぐっと抑えて、洗い場で水をジャバジャバかけまくりました。
「ちょっと…やばいかも…?」
とか一緒に働いていた人に話してた気がします。
今思えば、全然ちょっとやばいレベルじゃない。
それから事の重大さに気づいた店長達が救急車を呼んで、担架で運ばれていったわけです。
指だけなのにこんな大袈裟な担架で…なんて思ってました。
運ばれている最中は意識もばっちりあるので、人の目がすっごく気になってめっちゃ恥ずかしかったです。
そういった意味でも二度とこんな怪我したくない。
一緒に働いていた人たちには大変な迷惑をかけてしまったし、見たくもないグロ指を見せつけることになってしまった。
食事を楽しんでいたお客さんも落ち着いて食事ができなかっただろうし…本当に申し訳ない。
救急車から病院搬送まで
人生初救急車に乗せられたわけですが、とにかくこの間が長く感じました。
救急車の中では色々質問をされた気がします。
・意識はしっかりしてるか?
・どうして怪我したのか?
・一緒に住んでる人はいるのか?
・緊急連絡は誰にするか?もしくはしないか?
緊急連絡は私は特に誰にも入れませんでした。
いきなりこんなこと言われても困るだろうし、全てが落ち着いたら話そう、ぐらいの軽い気持ちで。
結果すっごく叱られ、悲しがられました。
皆さんも救急車に乗って意識がはっきりしていたら、緊急連絡は入れるようにしてくださいね。
その後、救急車はかなりいろんなところに止まっては動き、を繰り返した気がします。
記憶が不確かな部分はありますが、2~3回は受け入れ先の病院が見つからず右往左往したかと。
いつになったら病院に着くんだ…とこの時点でかなりの不安に。
そんな中付き添いで乗ってくれた方は常に私を励まし続けてくれました。
些細なことですがとても心の支えになります。
感謝しかありません。
病院に着いた…が?
漸く受け入れ先の病院に着きました。
後々分かったことですが、怪我をした場所と病院はかなり離れていました。
通院が地味にしんどかったです。
その後、すぐにお医者様に見てもらえると思いきや…?
「今、matutikaさんを見れる医師が全てオペに入っておりまして…こちらでお待ちください。」
みたいなことを告げられました。
絶望感マックス。
簡易的な処置はされたものの、いつまで待てばいいのかわからない不安感だけ膨らみました。
しかも、指の様子を勉強のために研修医の方が見てもいいですか?とぞろぞろやってきて、あれやこれやと話しながら指を観察。
未来の医者の卵の為であり仕方ないとは思いますが…なんとも言えない気持ちに。
その辺りで私の意識はプツリと落ちました。
途中オペ室に運ばれる風景をぼんやり見た気もしますが曖昧です。
次の記憶と言えば、既にオペが終わり包帯でぐるぐる巻きにされた自分の左手中指を見たとき。
何か色々手術の内容や労災の手続き、費用などの話をされた気がしますがほとんど覚えてません。
因みに診断書にはこのような記載がありました。
切断指は確保が困難だったため、指腹側からのV-Y伸展皮弁、爪床に人工真皮移植を行った。
その後、付き添いの方にお礼を言って帰宅。
とにかく疲れた。
早く家に帰って横になりたい。
その一心でした。
術後の経過
その日は一度職場に戻ってから帰ったのか、そのまま帰ったのかよく覚えていません。
意識ははっきりしていましたが、麻酔の効果で痛みが全くなかったので、猶更現状がよくわからないようなふわふわした状態でした。
そしてその日の夜から地獄が始まりました。
麻酔が切れたのでしょうね。
止むことのない激痛。
欠損したのは1㎝程でしたが、指先には数多の神経が集中しているため痛みの大きいそうです。
冗談抜きで三日間はほとんど寝られませんでした。
寝れる数時間の間だけが痛みから解放される至福の時にかかわらず、です。
しかし寝る直前は意識が痛みにいくので最も辛い時間でもあります。
余りの痛さに何かしていないと気が狂いそうでした。
周りからは家に帰って休めと散々言われていましたが、何かしていた方がまだ気がまぎれると事務的な仕事を職場でやらせてもらっていました。
自分で自分の事故報告書を本部に上げたのは今となっては思い出です。
さらに私を苦しめたのは満員電車の通勤。
どんなに庇っても固定された左手中指に、何かしらがぶつかるのです。
少し触れただけでも涙が止まらず唸る程の痛みでしたので、周りの人にはかなり不快な思いをさせてしまったと思います。
今思えば家で安静にしておくべきでしたね。
自分のことにいっぱいいっぱいで、他の人の迷惑を考えられなくなっていました。猛省。
完治までの道のり
完治までかかった日数は181日間。およそ半年です。
最初の数週間は特に痛みが酷かったため、とにかく鎮痛剤を処方して欲しいと懇願しました。
最初のうちはほぼ毎日病院に通院。
包帯を取り換えてくれるのですが、これがとにかく痛い。
いい歳して我慢できずに泣くわ喚くわで、この痛みから解放されるなら死んだ方がマシだとすら思えました。
未だ血は止まらず包帯には赤黒い染みが。
真っ黒な糸で縫われ、第二関節から急激にやせ細った指の先。
包帯をとられた先端は抉れて見られるものではありません。
この頃は精神的にもかなり堪えました。
少し痛みが落ち着いたと思ったら数化月後に抜糸。
この術後も痛みは酷く、一歩前進したはずなのにまた痛みに耐える日々が始まるのかと絶望しました。
しかしながら、現代医療の成果あってか少しずつ指の先の痛みはなくなり、人口真皮もなじんでくるように。
不幸中の幸いか、爪の生え際部分は失っていなかった為、爪も徐々に生えてきました。
再び爪が伸びてきたのを病院で見たとき、今までとは違う涙を初めて流すことができたのです。
そして約半年後、漸く長い通院生活を終え、現代医療の力で無事完治に至ったのです。
リハビリ
包帯をつけて固定していた期間が長かったため、いざ完治となって左手中指を動かそうとしても全く曲がりませんでした。
動かしていないと筋力は本当に落ちてしまうものです。
写真は現在の可動域。
ぐっと奥まで曲がるようになりました。
怪我直後は、
無意識に中指を使おとするのでその度痛む。
バランスが取れなくて物をよく落とす。
なんとか触れないように中指を上げて生活をする。
という苦労が。
完治した今でも、この記事を作っているときはこんな感じで中指は浮いたままです。
リハビリとして先生から提案されたのは「グー」と「パー」を交互に繰り返す方法。
最初はピクリとも動かなかった中指ですが、徐々に曲がるようになります。
この記事を読まれている方の中で、現在リハビリ中の方がいたら諦めないでリハビリを続けて欲しいです。
痛みは時間が経つにつれて収まり、動かなかった体もリハビリで動くように戻っていきます。
最後に
指を失った直後にまず来たのは物理的な痛み。
当たり前に出来ていたことができなくなってしまう受け入れがたい現実。
そして目の前にあった様々な夢や未来、可能性が急激に薄暗くなってしまう絶望感。
私の場合は音楽という夢を捨てきれず、数日後に仕事を退職、引っ越しをするという矢先の怪我でした。
その頃の私と言えばかなり自暴自棄になって毎日泣いてばかりいましたし、義指の存在を知っても一歩踏み出す勇気はなかったと思います。
しかし、数年後の今を生きる私は今でも音楽を続けられていて、義指という人生のパートナーにも出会うことができました。
辛いことも勿論沢山ある人生ですが、少しでもこうして前を向いて歩けるようになったのは多くの方々の力添えがあったからです。
今が辛いという方、少しだけ時間というものを信じて進んでみませんか?
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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