シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた引用:Wikipedia
誰しもが一度は聞いたことがある「シャボン玉」
音楽の授業で元気に歌ったことがある方も多いのではないでしょうか。
しかしながら、実はこの歌詞はとても悲しいお話が秘められていたのです。
今回はそんな、童謡「シャボン玉」の歌詞を紐解いていきましょう!
童謡「シャボン玉」の歌詞
では早速、歌詞の全文を見てみましょう。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えたシャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ引用:Wikipedia
歌詞はこれで全てです。
短いながらも、情景が浮かぶ伝わりやすい歌詞ですね。
「シャボン玉」を作った人たちと完成までの経緯
作曲者:中山晋平
作詞者:野口雨情(うじょう)
1922年(大正11年)に仏教児童雑誌『金の塔』にて詩が発表された後、1923年(大正12年)譜面集「童謡小曲」にてシャボン玉が発表されました。
先に詩が完成した後、曲として世にでたわけです。
この曲は、最古の賛美歌 “Jesus Loves Me,This I Know”(主われを愛す)を改変したものである、とする指摘もあります。
「シャボン玉」の歌詞の意味とは?
シャボン玉で楽し気に遊ぶ子どもの姿がありありと浮かぶ、微笑ましい歌詞になっています。
強い風がピュウッと吹けば、折角大きく膨らませたシャボン玉が弾けてしまう。
どこまでも消えないで、遠く遠くまで飛んで欲しい、という願いが伝わりますよね。
実はこちらの歌詞、幼くして亡くなった我が子への鎮魂歌、という説があるのです。
というのも、作詞家の雨情は、産まれて僅か7日の長女「みどり」を亡くしている過去があります。
時代柄、乳幼児の命が魂となってしまうことは珍しくはありませんでしたが、愛しいわが子の成長をみることが叶わない、という親の苦しみはいつの時代も変わらないことでしょう。
その後、妻のひろとの間に子どもを何人も産み一生懸命育てますが、長女「みどり」のことは悔やんでも悔やみきれなかったのです。
ある日、村で少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるを見かけた雨情。
もしも「みどり」が生きていれば、今頃はこの子たちとこんな風に楽しく遊んでいただろう…
そんなことを薄ぼんやりと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だと言われています。
しかしながら、これを裏付けるような事実は無いため、あくまでも一説のようです。
「シャボン玉」の歌詞を紐解く
それでは改めて、歌詞の全文を見てみましょう。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えたシャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ引用:Wikipedia
今までと違った世界が見えてきたのではないでしょうか?
シャボン玉=「みどり」の魂 という捉え方もできると思います。
虹色に輝く美しいシャボン玉の寿命は非常に短く、飛べたとしても屋根の辺りまでです。
これからの人生を空高く羽ばたくことは叶わず、屋根までしか行けなかったその時代の子どもたち。
7日間しか生きることが出来なかった「みどり」は、産まれてすぐに、飛ぶ=生きる ことも出来ずに
こわれて=死んで しまった。
だから、風=乳幼児が長く生きられない時代 は吹かないで、どうか生き延びて欲しい。
そしていつの日か、シャボン玉を飛ばして遊ぶことが出来る未来が、「みどり」にも訪れることを願って。
そんな心の叫び、虚しさ、来たはずの未来を歌った詩にも、私には見えるのです。
最後に
いかがでしたでしょうか。
幼い頃に誰もが歌ったことがある「シャボン玉」を今回は紐解いていきました。
歌詞に込められた本当の意味というものは作詞家にしか分かりません。
しかしながら、現代もこの歌が子どもたちによって歌われ、その子どもたちが大人になって、またその大人たちがわが子に歌を繋いでいく。
そんな未来が訪れたということに、雨情もきっと天国で微笑んでいるのではないでしょうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
コメント